SECRET CLINIC
5.0(2)
美容医療には、驚くほど定義しにくい境界があります。
施術は、いつやりすぎになるのでしょうか。
患者さんから、この質問を直接受けることがあります。たいていは写真を見せながらです。
「この人、やりすぎに見えますか?」
簡単な質問に聞こえますが、私にはその答えが、その人がどれだけヒアルロン酸注入を受けたか、どれだけリフト系施術を受けたか、どれくらい頻繁にクリニックへ通っているかで決まるとはあまり思えません。
私たちが気づくのは、もっと測りにくいものです。
顔が、完全に自然ではなくなってくるのです。
私は長年の診察の中で、このことをかなり考えてきました。
ある部位に少しボリュームを足すと、バランスがよくなることがあります。別の場所に少し加えることで、同じ効果が得られることもあります。肌の施術は質感を整え、リフト施術は輪郭の明瞭さを取り戻すことがあります。
個々に見れば、どの判断にも理にかなった理由があります。
問題は、顔は施術ごとには見られないということです。
私たちはすべてを一度に見ています。
そして、小さな変化が十分に積み重なると、ときに顔立ち同士の関係が変わり始めます。
ここで、美容医療は難しくなるのだと思います。
なぜなら、医師が「この施術は、まさに1回多すぎる」と断言できる瞬間が、必ずしもあるわけではないからです。
多くの場合、それは徐々に起こります。
頬が少しふっくらする。
あごのラインが少しシャープになる。
額の動きが少し減る。
唇の輪郭が少しはっきりする。
どれも単独では、特に不自然には見えません。
でもやがて、その人を見る前に施術のほうが目につくようになることがあります。
経験を重ねるにつれ、私はこの点により慎重になってきたように思います。
もうひとつ施術をすれば何かが改善できるか、という問いにはあまり関心がなくなりました。
それよりも、そもそも改善が本当に必要なのか、を重視しています。
この2つはまったく違う問いです。
最善の判断が施術であることもあります。
施術計画を変えるべきこともあります。
そして、しばらく顔には何もしないのが一番いいこともあります。
良い美容医療は、何も手を加えられていないように見せるべきだとは思いません。それは現実的でない基準です。
でも、施術そのものより、その人の存在がしっかり感じられる余白は残すべきだと思います。
おそらく、そのあたりが境界線なのでしょう。
「施術が多すぎる」ときではなく。
私たちが、その人を見る前に施術のほうを見てしまうときです。